松山地方裁判所 昭和40年(ワ)66号 判決 1966年9月20日
原告 杉野恵美子 外三名
被告 神崎等破産管財人 白石隆
主文
別紙<省略>第一、第二目録記載の各物件が原告等の所有に属することを確認する。
被告は原告等に対して、右各物件の引渡しをせよ。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
原告等訴訟代理人は、主文第一項ないし、第三項と同旨の判決および主文第二項につき仮執行の宣言を求め、その請求の原因として次のとおり述べた。
一、神崎等は昭和四〇年二月一日当庁において破産宣告をうけ、被告が同日その破産管財人に選任された。しかして、被告は別紙第一、第二目録記載の物件を破産財団に属するとして占有保管している。
二、しかしながら、右物件は、いずれも原告等の所有に属する。すなわち、
1 原告等の先代亡塩谷政江は昭和三九年四月一五日神崎等に対し金五五〇、〇〇〇円を貸付け、その担保として別紙第一目録記載の物件の所有権の譲渡をうけた。
2 次いで、塩谷政江は神崎等に対し同年五月二日金七〇〇、〇〇〇円を貸付け、同年六月一五日別紙第二目録記載の物件を右貸金の担保として、その所有権の譲渡をうけた。
3 塩谷政江は昭和四一年二月一一日死亡し、原告等はその相続人である。
三、よつて、原告等は被告に対し別紙第一、第二目録記載の各物件が原告等の所有に属することの確認と右物件の引渡を求める。以上のように述べ、
被告主張の抗弁事実のうち、否認権の行使の事実は認めるが、その余は知らない。と答え、再抗弁として、
仮りに被告主張の如く、神崎等において被告主張の加害行為があつたとするも、原告は、右神崎が塩谷に対する前記各物件の処分当時、多額の債務を有したこと、したがつてまた、右神崎の前記物件処分行為により他の破産債権者を害することを知らなかつた。すなわち、神崎等は昭和三八年二月松山市平和通一丁目七番地において各種印刷業を開業し、昭和三九年春頃にいたり、業態盛況となつたので、その営業資金調達の必要を生じ、渡部を通じて塩谷に対し貸金を依頼したところ、塩谷は、神崎等に対し別紙第一目録記載の物件を売渡担保として金五五〇、〇〇〇円を貸与した。その後、神崎等はさらに印刷機械を買入れる必要があるため金七〇〇、〇〇〇円の貸与を塩谷に申入れ、その担保として越智忠彦振出の約束手形四通額面合計金七〇〇、〇〇〇円を原告に裏書譲渡するというので、塩谷は、昭和三九年五月二日神崎等に対し金七〇〇、〇〇〇円を貸与するに当り、同人との間に、もし前記手形が満期に支払われないときは、神崎等およびその妻神崎祥子の所有動産を塩谷に対し売渡担保の方法により塩谷に譲渡することを約し、右売渡担保契約を公正証書に作成する際に必要な委任状、印鑑証明書を交付した。その後、前記手形四通のうち一通額面金一八〇、〇〇〇円、満期昭和三九年六月六日の分が不渡りとなつたので、原告は約旨に従つて、昭和三九年六月一五日別紙目録記載の物件につき、売渡担保の方法による所有権の譲渡をうけ、これを公正証書に作成したものであつて塩谷は、当時他の債権者を害することも知らなかつたし、また神崎が他に多額の債務を負つていたことも知らなかつた。
以上のように述べ、被告主張の廉価売却の事実を争うと陳述した。
立証<省略>
被告は、請求棄却の判決を求め、答弁として、原告主張の一の事実、二の事実中、3の事実は認めるが、その余の事実は否認すると述べ、抗弁として、
仮りに、原告等主張の二の1、2の事実が認められるとしても、神崎等は、その所有の別紙第一、第二目録の各物件の所有権移転当時、尾上義盛に対し、金一、八五四、〇〇〇円、河上武に対し五〇七、〇〇〇円の各手形債務を負担しており、右債務を弁済する資力がなく、かつ右物件以外資産を全く有していなかつたものである。しかも、原告等主張の別紙第一目録記載の物件は、被告の評価した別紙第三目録によれば、昭和三九年四月一五日当時合計金八四五、〇〇〇円の価値があつたものであり、また、別紙第二目録記載の物件は同年六月一五日当時合計金一、三一三、一〇〇円の価値があつたのにもかかわらず、神崎等はこれを塩谷政江に対し不当に低廉な価格で右各物件の譲渡をしている。したがつて、原告等主張の所有権譲渡は、破産者神崎等が破産債権者の債権を害することを知つてなした行為であるから、被告は昭和四〇年六月三日午前一〇時の本件口頭弁論期日において、否認権を行使した。よつて、原告の請求は失当である。
と述べ、被告の再抗弁事実を否認すると答えた。
立証<省略>
理由
神崎等が昭和四〇年二月一日当庁において破産宣告をうけ、被告が同日その破産管財人に選任されたこと、しかして、被告が別紙第一、第二目録記載の各物件を破産財団に属するとして占有保管していることは、当事者間に争いがない。
しかして、成立に争いのない甲第一、第二号証、証人神崎等の証言によつて真正に成立したと認める甲第三号証、同第四号証、同第五号証の一ないし四および同証人の証言、証人作間秀雄、同神崎祥子の各証言を綜合すれば、破産者神崎等は昭和三八年二月頃から印刷業をはじめ、その後印刷機械や営業設備、什器、家具等を漸次整えたが、その後、事業の設備資金や運転資金に窮して、昭和三九年四月頃金融業をしている作間秀雄に資金融通方を依頼したところ、同人は原告等の先代塩谷政江を神崎等に紹介し、その結果、昭和三九年四月一五日塩谷から神崎等を債務者、妻神崎祥子を連帯債務者として金五五〇、〇〇〇円が神崎等に貸与され、同日前記作間を神崎等、祥子の代理人として甲第一号証の公正証書が作成され、原告主張のとおり、別紙第一目録記載の各物件を含む別紙第三目録(1) のタイプライター一三台が、譲渡担保の形式により、塩谷政江に譲渡され、神崎等がこれを賃借する契約が成立したこと、次いで、同年四月末頃神崎等は事業資金として、塩谷政江から金七〇〇、〇〇〇円を借りうけんとし、その担保として、自己が所持していた越智忠彦振出の約束手形四通額面総額金七〇〇、〇〇〇円を堤供しようと申出たが、塩谷から手形の担保だけでは不十分であるとして金融を拒否されたので、改めて前記約束手形を第一次担保とし、もし手形が不渡りになつた際は、神崎等所有の別紙第二目録記載の物件を含む印刷機械、家具等を第二次的に担保に提供する旨を申し出で、その条件に従つて、昭和三九年五月二日、塩谷から神崎等に対し金七〇〇、〇〇〇円が交付され、神崎等からは塩谷に対し甲第五号証の一ないし四の約束手形四通と同手形不渡の場合に作成さるべき譲渡担保契約公正証書の委任状、印鑑証明書が交付されたこと、しかるに、前記約束手形のうち、甲第五号証の一の約束手形(額面一八〇、〇〇〇円、満期同年六月六日)が不渡りとなつたため、同年六月一五日作間秀雄が神崎等、神崎祥子の代理人として、塩谷との間に、別紙第二目録記載の物件を含む別紙第三目録(2) の印刷機械、家具等の物件につき、甲第二号証の如き公正証書が作成され、その結果、原告等主張の別紙第二目録記載の物件の所有権が神崎等から塩谷政江に対し譲渡担保の形式により移転されたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
ところで、被告は、神崎等が別紙第一、第二目録記載の各物件を塩谷に譲渡した当時、神崎等は尾上義盛に対し金一、八五四、〇〇〇円、河上武に対し五〇七、〇〇〇円の各手形債務を負担しており、しかも右債務を弁済する資力がなく、かつ、右物件以外資産を有しないのに、これを不当に廉価で処分したから、右処分行為は、破産債権者を害することを知つてなしたものであり、否認の対象となると主張する。
そこでまず、別紙第一目録記載の物件についてなされた譲渡担保設定契約が、否認権行使の対象となるかどうかについて検討する。
証人尾上義盛の証言によつて真正に成立したと認められる乙第一号証ないし同第一四号証および同証言によれば、神崎等が別紙第一目録記載の物件につき譲渡担保を設定した昭和三九年四月一五日当時、同人は尾上、河上両名に対し被告主張の如き手形債務を有していたことが認められるが、他方右乙号各証によれば、右手形債務の最初の満期は同年六月一〇日であつたことが認められ、しかも、証人神崎等の証言によれば右手形債務は同人が越智忠彦のため融通手形を振出したことに基づくものであつて、神崎等は越智が満期に支払いくれるものと考えていたこと、また、右譲渡担保契約設定当時においては、神崎等の資産として、別紙第二目録記載の物件を含む別紙第三目録(2) の印刷機械、家具等が残存していたことが認められ、さらに、証人神崎等の証言によつて真正に成立したと認める甲第六号証および同人の証言によれば、当時神崎等の事業は設備過剰、運転資金不足のため経営不振の状態にあつたが、事業活動は依然として続けており、原告から借入れた金五五〇、〇〇〇円も、タイプライターの購入資金やその他の運転資金に充てられていたことが認められる。
そうだとすれば、別紙第一目録記載の物件につき譲渡担保を設定した昭和三九年四月一五日当時において、神崎等に債務の弁済資力がなかつたと断定することはできないし、また、右譲渡担保契約は、神崎等が事業経営のため資金を調達するにあたり、必要やむを得ずなしたものであると推認されるから、その目的物の価格が被担保債権額たる金五五〇、〇〇〇円を超過しない限度において債権者を害する行為とはならないと解するのが相当である。
進んで、右譲渡担保が適正な価格のもとに設定されたかどうかについて考察する。
ところで、否認権の対象たる譲渡担保が適正価格で設定されたかどうかは、原則として、加害行為時すなわち、設定時を基準として判断すべきであることは多言を要しないが、しかし他方、否認権行使の目的はそれによつて受益者から不当に逸出した財産を破産財団に取り戻すことにあるのであるから、加害の有無は否認権行使の時まで継続することを要すると解すべきところ譲渡担保設定後、否認権行使時までの間に担保の価格が受益者の責めに帰すべからざる事由によつて下落したり、または、担保物そのものが滅失(または逸失)したような特別な事情が生じたときには、否認権行使当時存在する担保物について、その当時を基準として適正価格であるかどうかを判断するのが相当であると解する。これを本件についてみると、前記認定のとおり、昭和三九年四月一五日神崎等が塩谷のため譲渡担保を設定したのは、別紙第一目録記載のタイプライター八台を含む別紙第三目録(1) のタイプライター一三台であり、鑑定人赤松幸臣の鑑定の結果によれば、当時のタイプライター一台の価格は、金七五、〇〇〇円であることが認められるから(これに反する証人神崎等の証言は措信しない。)、譲渡担保の目的物の総額は、金九七五、〇〇〇円となり、したがつて前記譲渡担保の目的物の価格は、被担保債権額金五五〇、〇〇〇円を超過すること明らかであるが、その後、被告が本件訴訟において否認権を行使した昭和四〇年六月三日当時における右タイプライター一台の価格は金四〇、〇〇〇円以下にすぎないことが、前記鑑定の結果によつて認められ、しかも、右価格の下落は、受益者たる塩谷の責に帰すべき事由によるものであるとの資料は、なんら存しないから、別紙第一目録記載のタイプライターを含むタイプライター一三台に関する譲渡担保設定契約は、結局においてその目的物の価格が被担保債権額を超過するということができない。
したがつて、右譲渡担保契約は、いずれの点からしても、債権者を害するものということはできない。
よつて、別紙第一目録記載の物件に関する被告の否認権行使の抗弁は採用できない。
次に、別紙第二目録記載の物件についてなされた譲渡担保契約が、否認権行使の対象となるかどうかについて判断する。
さて、右物件につき神崎等と塩谷政江との間に譲渡担保契約がなされた経緯は、さきに認定したとおりであり、その経緯からみると、なるほど、公正証書で神崎等と塩谷政江との間に別紙第二目録記載の物件を含む物件について譲渡担保の本契約が締結されたのは、昭和三九年六月一五日であるが、その以前たる金七〇〇、〇〇〇円の消費貸借成立時たる昭和三九年五月二日において、すでに右当事者間で譲渡担保契約の予約が成立していることが明らかであり、しかも、神崎は塩谷に委任状、印鑑証明書を交付しているのであるから、右予約の完結権は、担保権者たる塩谷にあつたものであることが推認される。
そうだとすれば、昭和三九年六月一五日に成立した譲渡担保契約は、昭和三九年五月二日になされた同契約の予約に基ずいて成立したものというべきであるから、右譲渡担保契約が否認権行使の対象となるかどうかの判断の基準時は、譲渡担保の本契約時ではなく予約成立の時点である昭和三九年五月二日と解するのが相当である。
そこで、進んで、神崎等がなした前記譲渡担保の予約が、破産債権者を害する行為に該当するかどうかにつき検討する。
昭和三九年五月一二日当時においては、すでに別紙第一目録記載の物件を含むタイプライター一三台が譲渡担保として塩谷政江のため提供されており、神崎等が事業資金にもかなり困窮していたことが、証人神崎等の証言によつて認められるが、他方、同証言によれば、債務については、前記尾上、河上両名に対する手形債務があつただけで、それもまだ満期が到来せず、神崎等は依然印刷業を続け、営業の実績を挙げるべく企図して、ゲスオフセツト印刷機を返品して新にオフセツト印刷機を購入しようとし、その購入資金およびその他の運転資金も入用であつたことから、再度、塩谷に金七〇〇、〇〇〇円の借用方を申入れ、その担保として、前記のような経緯で別紙第二目録記載の物件を含む別紙第三目録(2) の物件につき譲渡契約の締結を約諾したことが認められる。
右認定事実によれば、神崎等が別紙第二目録記載の物件につき譲渡担保の設定を承諾したのは、神崎等が事業資金を調達するためやむを得なかつたものであると推認され、しかも、右担保提供の承諾当時においては、支払停止等の破産状態には、たちいたつていなかつたのであるから、右譲渡担保の予約ないし承諾行為は、その目的物の価格が被担保債権額を超過しない限り、破産債権者を害する行為とはならないと解するのが相当である。もつとも、別紙第二目録の物件は、神崎等の有した最後の財産ともいうべきものであるから、これを特定の債権者のために担保に供することは、他の債権者の共同担保を減少することになることは明らかであるが、さればといつて、一定の事業を経営するものがいまだ破産状態に至つていないのに、自己の財産を担保として資金の調達もできないとすることは、事業者に破産の道を強いるに等しいものであり、他方、本件の如く、債権者が貨金と同時に担保契約を締結することは、既存債務につき新たに担保権を設定する場合と異なり、他の債権者の利益を害することにはならないというべきである(担保物の価格と被担保債権とが同額であれば、担保物は減少するが、その代りに同額の資金が債務者に手渡されるからである。)。
そこで、さらに、右譲渡担保契約の目的物の価格が被担保債権に比して適正であるかどうかにつき考察するに、さきに説示の如く、譲渡担保の目的物が受益者の責に帰すべからざる事由によつて滅失もしくは滅失し、またはその価格が下落した場合には、否認権行使の時に存する担保物について、その当時の時価によつて評価すべきであるところ、別紙第二目録記載の物件につき譲渡担保が設定された当時においては、別紙第三目録(2) のうち、自動車、ゲスオフセツト機等も譲渡担保の目的物となつていたことは、前顕甲第二号証によつて明らかであるが、現存する担保物は別紙第二目録記載の物件および別紙第三目録(2) のタイプ活字四〇組と付属品のみであり、それ以外の物件が逸失したについて、受益者たる塩谷に責があるとの資料は存せず、また、前顕鑑定の結果によれば、別紙第二目録記載の物件も譲渡担保契約当時に比して、その価格が下落していることが認められ、その下落について塩谷に責があるとの資料もない。よつて、現存する別紙第二目録記載の物件につき前記否認権行使当時における価格について調べてみると、前記鑑定の結果によれば、同目録記載の物件中、レツクス輪転機一台の昭和四〇年三月当時における時価は金九五、〇〇〇円であり、裁断機のそれは金五、〇〇〇円であることが認められ、また、同目録に記載はないが、前記譲渡担保の目的物とされたタイプ活字一組の価格は金二〇〇円、同付属ケース類一組分が金五〇〇円であることが、右鑑定の結果によつて認められる。別紙第二目録記載のその他の物件については、鑑定がなされていないが、被告である破産管財人が昭和三九年六月一五日当時の時価として主張する別紙第三目録によつてみても、同目録から、現存しないマツダ軽四輪車、ゲスオフセツト機各一台を除いた総評価額は金六一三、一〇〇円にすぎないことが明らかである。
以上の事実に照らせば、被告が別紙第二目録記載の物件の譲渡担保契約について否認権を行使した昭和四〇年六月三日当時における右物件の総価格が、右譲渡担保の被担保債権である金七〇〇、〇〇〇円を超過しているとは認められないから、譲渡担保が不適正な価格でなされたということはできない。
以上要するに、神等崎が塩谷政江に対し、別紙第一、第二目録記載の物件について譲渡担保を設定した行為は、結局破産債権者を害するものと断定するまでにはいたらないから、被告の否認権行使の抗弁は採用できない。
しかして、塩谷政江が昭和四一年二月一一日死亡し、原告等がその相続人となつたことは当事者間に争いがない。
よつて、原告等は別紙第一、第二目録記載の各物件につき、前示譲渡担保契約および相続によつてその所有権を取得していることが明らかであるから、その所有権確認を求める請求および原告等が被告に対し右物件の引渡を求める請求は、いずれも正当であるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用し(仮執行の宣言は、本件事案の性質上適当でないからこれを付さないこととする。)、主文のとおり判決する。
(裁判官 糟谷忠男)